将棋会の八百長疑惑。
誰も関心ありませんよね?
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将棋界に八百長はない-。日本将棋連盟会長で永世棋聖の米長邦雄さんは、2月17日の本紙「正論」で断言している。米長さんの体験に基づいた「自分には消化試合であっても、相手にとって大事な一戦には全力投球すること」という勝負哲学が浸透しきっているから…というのが理由だ。
昭和45年3月のB級1組順位戦最終局。26歳の七段だった米長さんは、昇降級に関係のない消化試合にもかかわらず、「勝てば昇級」だった58歳の大野源一八段(のち九段)に劣勢から粘って逆転勝ちした。大野八段はA級復帰を逃し、米長さんと出世を争っていた中原誠七段(現十六世名人)が昇級した。だが、米長さんはこの勝利で勝負運を呼び込み、翌年にA級昇級、のちに名人や棋聖などタイトル19期を獲得するに至った。「米長哲学」を守る者には幸せの神がほほ笑み、破った者は将棋界から見放されるのだという。
一方、相撲界では「ありえない」と隠し続けてきた八百長が表面化した。だが、その角界にも、こんな逸話が残されている。
戦前の名横綱、玉錦が小結だった昭和3年春場所千秋楽。すでに勝ち越していた24歳の玉錦は、「勝てば優勝」だった35歳の平幕力士、三杉磯と対戦した。三杉磯の後援者は大金を積んで八百長を懇願したと伝えられるが、玉錦はそれをはねつけ、不利な体勢からうっちゃりで逆転勝ちした。優勝したのは、玉錦と犬猿の仲といわれた大関、常陸岩(ひたちいわ)だった。
玉錦はのちに「負けたら世間の人は『勝負を売った』と思うにちがいない。もし負けたら力士をやめるつもりだった」と語っている。玉錦は翌年に初優勝し、出世の階段を上ることになる。米長さんと同様に、情を殺して勝利に徹した精神が、勝負師としての成功を引き寄せたとはいえまいか。
元将棋連盟理事の田丸昇八段の著書「将棋界の事件簿」によると「昔のB級1組には『互助会』みたいなものが存在したという。(中略)終盤戦で星勘定を調整された例が実際にあった」という。だが、米長哲学によって将棋界は八百長と決別した。日本相撲協会は「再発防止委員会」(仮称)を設置し、八百長防止策の検討を始めるが、制度をいじるだけでなく、玉錦が示したような土俵倫理を角界に浸透させることができれば、八百長は根絶されるだろう。
やがて再開される本場所へ、全力士が先人の教訓に学んで臨めば、「国技」はきっと再生する。(運動部次長 須藤信幸)
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将棋も勝負事である以上、「八百長」とは云わないまでも「片八百長」はある。
順位戦はともかく、他の棋戦リーグで陥落が確定した棋士は相手によっては「分かる棋士」になる。
以前、K九段が告白した記事が「将棋世界」に掲載されたことがある。
米長のように、女性問題にだらしない男の言うことを信じてはいけません。なにせ、あのH女流は米長の弟子だったのですよ。
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将棋 麻雀 トランプ などの勝負事が強い人間は基本的にろくな奴はいません。常に人を欺き、裏をかき勝利を手にしているわけですから、例え本当に相手が昇段がかかっていようと、極端にいえばそれで相手が負ければ、家族や本人が路頭に迷う状況でも勝ちにいくでしょう。そういう人間なんです基本的に。相手が負ければ死ぬとなっても勝ちに行く人種です。
ですから将棋界においては八百長はありません。
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あれ、八百長はあったようだと本に書かれていたんですね。
だったら、八百長はない、というのは、ちょうど相撲協会の理事長がいうのと状況も含めてすこし似ていますね。
ならば将棋は発覚していないだけのことかもしれませんね。
「米長哲学」が浸透しているなんて、確かめてもいないものを取り上げて、それを行えば勝利の女神が・・こんなの真面目にうなづきながら読んでいる人いるんですかね。須藤信幸さんも相当だまされやすいお方のようです。
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相撲の八百長はなくならないと思います。
相撲は国技だという発想も間違っていると思うのですが?
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